幼稚園でのインターンシップ、風邪で一週間お休みしたせいもあってあっという間に折り返し地点です。
密かに叱ることの意義と叱り方の研究をしているkojisatoですが、今の時点で分かり始めたことは、
です。
デボラもマリオンも、とっても優しい先生ですが、叱るときは突然「オニの様相」!?
【例1】
A君がB君を叩きました。B君、大泣きでマリオンのもとへ。
マリオンはA君に「すぐココに来なさい!」とピシャリ。
どうしてケンカが起きたのか原因究明。
順序立てて聞けば、子どもでもちゃんと説明出来ます。
事のはじまりは、A君が持っていたオモチャをB君が取り上げるかのごとく取ったから。
だから、A君が叩いたのですね。
誰かが持っているオモチャを借りたいときは「一言」
みんなのオモチャは、皆で遊ぶ。
「分かった?」と聞いて、分かるまで説明。最後には、お互い手を出して和解。
事態は「オモチャ一つ」だけど、オモチャを大人がケンカする何かに入れ替えてみてください。
こんな和解、なかなか難しくないですか?メディエーションのような感じです。
【例2】
みんなで輪になって、唄ったり、踊ったり...
集中力散漫で、全く違うことをしている子。おしゃべりに夢中な子。
ここでも先々、ピシャリ!
まず、みなで輪になっている時はオモチャを手にしないこと。別個の箱があって、そこに人形やらが回収されます。
今は、歌の時間。
歌っている他の子を邪魔するような子は、輪から外されて向こうの椅子に座って反省。
kojisato、最初は可哀想かな?と思ったのだけど、輪から外されて一人ぼっちにされるって子ども心にも恥ずかしい。
もちろん、再びまた輪には戻れます。
【例3】
お昼ごはん。
食事の開始は、お食事の挨拶で。
食事中は、オシャベリではなくて食事に集中させます。
オシャベリが伝染して、先生の声も聞かずにうるさくなったとき...
デボラが、オタマで机をピシャリ!
子どもたちも一瞬で様子を悟った様子で「シーン」
いずれもですが、「ピシャリ!」がポイントなのかな?とkojisatoは思うのです。
育児経験者ではないけど、「叱る」って本当に難しくてベテランの先生を見ながら現在勉強中です。
さて、そのつたない私の観察力から見ると...
ドイツの幼稚園の先生、メリハリがしっかりしています。
怒るときは、威嚇?ってくらいバシっと怒って、褒めるときはしっかり愛情を注ぎます。
叱り方も中途半端だと、叱られているほうも余計相手のスキを狙ってワガママを通しちゃう。
毎日20人近い小さな個性を見ているけど、本当にそれぞれ。年齢も2.6歳から6歳まで離れているから、自己主張も理解度もそれぞれ。
子どもは確かに大人よりも言葉たらずの部分があります。でも、(多分ドイツの子は日本の子以上に)自分の意志を通そう!という意地な大人顔負けです(笑)
大人も子どもに叱ることで例えば、「今はオモチャで遊ばない」とか「相手を叩かない!」とか道理を通そうとするけど、子どもだって「今はオモチャで遊ぶんだ!」、「相手が○×したから叩いたんだ!」、それはそれは必死です。
だからこそ、大人側が中途半端だと子どもは賢いですよ~。
子どもが泣こうが、とりあえず一通りハッキリと分かるまで説得。これは大人側もなかなかエネルギーの必要なことかもしれませんが、子どもはここで大人を試しています。
現にkojisato、研修員の新米でソレを試されている時を時々感じます。
kojisatoは幼稚園で、子どもとの対応に困った瞬間koji-mamaを思い出します。
koji-mamaがパーフェクトなお母さんだった!ではなくて、例えば「あの時、こう怒られたのは、koji-mama側のこういう考えがあったからなんだね。」とか、「koji-mamaに、こう叱られてkojisatoはこんな気分だった...」とか。
kojisatoは育児未経験者だけど、子どもたちの毎日は本当に学ぶことが一杯です。
同時に「自己分析」に繋がるような気もします。そういえば、kojisatoも簡単な子どもではなかったのかも...。
来週から3月。春を感じるイベント満載の幼稚園。子どもと一緒に春探しです。