Scheidungskindという言葉がドイツ語現代用語にある。
日本語に訳すと「離婚児」。両親が離婚した子どものことだ。
「地下ネズミ幼稚園」、今週はニネDayで幕開け。
就学準備の児童を対象に、それぞれが幼稚園の子ども達を自分の家に招待。ついで、幼稚園と家の間の交通手段や道のりを子ども自身が自分で説明できるようにする訓練。
今日の主役ニネには、2つの家がある。
1つはパパと。もう1つはママと…
ドイツの離婚手続きは茨の道。結婚にいたるまでの何倍ものエネルギーを要する。最低1年の別居に、その後の裁判調停…それでも離婚率の高いドイツなのだけど、その副産物として問題になっているのが、Scheidungskind(離婚児)なのだ。
離婚後も親や親であり、父親にも母親にも親権が課される。結果、子どもは親の間を行ったり来たりなのだけど…離婚にいたる結果になった両親が仲むつまじく協力して子どもを育てていくという例は稀で、大人側も離婚への茨の道の過程で傷ついたり、不安定になったり…とにかく、それが子どもにプラスの影響を与えるということはあまり聞いたことない。
教育方針だけでも、双方のすれ違いがあれば、コッチでは許されることが、アッチでは禁止されて…子どもは都合の良い方へ行ったりきたり。最終的に、子どもを釣る手段がモノだったり…
「地下ネズミ幼稚園」でのインターンシップが始まってばかりの頃、kojisatoが悩んだのがこの子との接し方だった。(参照)。最近は、彼女自身が落ち着いてきたのか、kojisatoに心を開き始めてきたのか…ようやく普通に話しをしたり、接することが出来るようになった。
Nine-Dayで皆で向ったのは、ママの家。
終始自分が主役でご機嫌なニネ。助っ人にパパもやってきた。
事務的なこと以外、2人が会話することはない。
大人だけで会話する時も、誰かを通じての会話。
でも、数ヶ月前の修羅場はきっと過ぎたのだろう。第三者の眼からも、それは感じた。
「彼が来てくれたから、助かった。」
そうママがkojisatoに漏らした。
たっぷり遊んで、外でピクニック、再び遊んで…
昼過ぎには、バイバイ~と再び幼稚園へ。
見送るニネが、パパとママの間で手を振った。
午後はパパト出かけて、パパ宅で就寝。明日はまたママの家で…そんなんで落ち着く場所があるのかな。
彼女が不安定だった時、送り迎いに交互に来る両親もギスギスしていた。
あの「大人は信じない!」といわんばかりの怯えた目が忘れられない。
今日、少しノビノビとした「家族」を見て、「穏便な離婚」なんてなかなかないけど、これ以上彼女を傷つけるようなことはあって欲しくないな…と思った。
離婚に反対じゃない。プロフェッショナルな離婚なんて言うと響きがおかしいけど、いつか子どもが大きくなった時に、その時のことを理解してもらえばいい。でも、まだソレが分からない年頃には…出来る限り影響の及ぼさないような離婚。
そんなのは、まだ結婚もしていないkojisatoの机上の空論。理想主義すぎるかな?
ちょっとツラツラ綴ってみました。むつかしいね…
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kojiczuk (kojisato & Pa-panda)
12 Comment:
離婚児、なんて言葉があるんだね、ドイツには。
イギリスにはそういう単語があるのかどうか、私の知っている限りは聞いた事無いなあ。
かくいう私も両親が1歳の誕生日前に離婚した子供ですが、苦労はしたなあ。
だから小さい頃から「私は絶対に離婚だけはしない。万が一、シングルママになったとしても再婚はしない」と誓って生きてきました。
だけど人生何が起こるかなんて分からないよね。
でも、出来るだけの毎日の努力を怠らずに居たいと私も思います。
kojisatoさんは結婚がこれからだから、不安もワクワクもあるだろうけど、まあ、楽しんで行きましょう。 :)
やっと読めました!(←今日はストーカーちっく?笑)
離婚・・・多いですよね。私も以前触れましたが、二人に一人って多すぎ(汗)。
語学学校時代、クラスメートにブラジルやロシアの子が後妻のパターンが多くて・・・
離婚後に後妻と新居を建てても、ちゃんと月1の訪問用に子供部屋があり、きっちりしている印象でした。
好きになり結婚したのに、離婚、ほとんどの場合は絶縁・・・なんなんでしょうね~
離婚後に仲良しな場合は、腐れ縁とか単に不妊のせいで離婚したケースが多いですね。
日本の元離婚児です(笑)
うちの両親は私が7歳の時に別居して実質離婚状態。物心ついたときから両親が言い争っている場所を見たことがないんですよね。(私が鈍感だったのかもしれないですけど)あとお互いが悪口を言ってるのを聞いたこともない。
今から考えると離婚はしたものの、子供のことをよく思ってくれてる親だなあと、我が親ながら関心します。当たり前でいて、なかなかできないですよね。多分、自分が親の立場だったら私はできないです。(離婚する予定もサラサラないですが。。。)
ゆりぽんさん>「離婚児」というのは
直訳だけど、正確に言うと「親が離婚した子」。
実は今回の離婚劇の背景が背景なので…
修羅場もすごかったみたいです。
正直、子どもの有り無しで物事も責任も
全然違うと思います。
子なしの夫婦なら、離婚も大人の都合だけで
ナントカなる。
でも、子どもがいるなら…って
ちょっと考えちゃいますね。他人が
とやかく言うことではないけど。
結婚する前から離婚は考えていないけど(爆)、
第三者の眼で大人が子どもに与える
影響…甘く見れないなと今回思いました。
Erさん>名前がどんどん短くなりますね(笑)
結局、全て書き直しました。
ワードからコピペだと、「目に見えない」
コードが沢山隠れているみたいです。
ドイツは子どもに対する子ども部屋の
割り当ても決まっていますよね。
なかなか奥が深いです。
離婚が大変なのに、離婚率が高いドイツ
というのも、ある意味不思議です。
Pupuさん>私の場合は、子どもを第一に
離婚をしなかった家庭。
表面上は普通を装っても、どうだったのかな?
離れる勇気と残る勇気…
いずれも、大人と子どもの公私混同は、
子どもはひたすら巻き込まれるだけで、
そういう意味では、Pupuさんのご両親、
とてもスマートな解決法を取ったのでしょうね。
どうしても感情的な部分が出てしまうと
思うから、本当になかなか出来ない
ですね(いや、私も今の所はそんな考えないですが 苦笑)
離婚って結局はそれぞれで、経過もその後もその前も、よって子供が受ける影響もそれぞれだから「このケースは良い、このケースは悪い」とは言い切れないものだと思う。
↑でゆりぽんさんが言っているのと同様に、離婚家族で育った人たちの多くが「自分は離婚だけはしたくない!」と考えているのですが、離婚した家庭で育って良いパートナーの見つけ方が分らずに結果的に離婚に至ってしまう人たちが世の中にはゴマンといるのよね。
離婚する人たちの誰も悪気があってやっているのではないのだし彼らも立派なこの社会の一部なので批判だけはできないですね。
Ryoさん>まず前置きを…
私は離婚は結果であって、それには「反対ではない」です。
その経過の点で、今回のように「子」という
「個」がすでにいるのであれば、
「大人の事情」だけで子どもを巻き込むのは
どうだろう…という私個人の疑問点です。
もちろん偽造結婚でもない限り、「離婚を前提」に
結婚する人もいないだろうし、幸せになるのが前提で
結婚して、その結果の顛末が離婚という
「悪気のないケース」も多いでしょう。
「離婚」を社会的に批判していたら、
Ryoさんの言うようにゴマンもある
出来事なのだから、大変なことに
なりますよ。
Blogで全ては表現していないけど、
今回の子の件も、私の身近な件(これはRyoさんもご存知ですね)も、
大人が最優先で、子どもがたらいまわしになって
体調的にも、精神的にも症状が出た件です。
という意味で、私としたら子どもを
通して見て感じたことを書いただけなので、
離婚の是非や、良し悪しについては
触れていないということで、ご了承を。
個人的なBlogで表現は自由ですけど、
もし気分を害してしまったようなら
ごめんなさいね。
あ、ごめんなさい!コメントの口調きつかったね。^^;Kojiちゃんの日記で気分を害したわけではないから、ご心配なく。
Kojiちゃんは家庭問題による子供の精神状態とかを勉強したり観察したりやってるから「子供を通して見る」ことができる、ある意味希少な人だと思う。そうであるのも体験から来る所も大きいと思うし、それプラス性格とか観察力とか興味とかのいろいろな要素で。
そういう要素を持ち合わせていない人がたくさんいて子供に悪い影響を与えてしまうのだけど、要素を持ち合わせていないこと自体は罪ではないと私は思ってます。
そういう人たちはそれなりに時間をかけていろいろ学んでいくことになると思うのね。特に子供が悪影響を受けて育ったならいずれはその影響が今度は親に返ってくるので、結果子供から学ぶことになると思うよ。
子供の目から見たら大罪だけど、大人のほうも長~い目で見れば、したくてやったわけではないことの罪滅ぼしをしないといけないのでそれはそれで苦労かと思います。
子供の何十年後と並行して大人の何十年後もまとめて考える視点もあっても悪くないんじゃないかな。
そうすれば「大人が悪い!」だけではない柔軟性が持てて子供とも対応しやすくなると思うよ。
「この子可哀相。」ではなく、「この子はこの子なりに強く生きていくに違いない。」ってその子の将来を信じてあげるのも大切かと思う。
なんというか、子供も大人も全部ひっくるめた大きな視点から見るのが素晴らしいかと思います。
Ryoさん>誤解が誤解を呼んでいないと
良いのですが。
生まれながらの親がいないように、
大人も四苦八苦で子どもと一緒に成長して
いくのだと思います。
それが、「大人だから」で「子ども」
を小さく捕らえてしまったり、そこに
成長の秘訣(双方の)があることに
気付けなかったり…
それもそれぞれの背景によるものですが、
何十年後に気付く前に、それが体験
出来る瞬間に感じれる人が多くなれば
なぁ…と思っています。
そうなれば、世間の物騒で悲しい事件も
少し減るかもしれませんよね。
ここでは、どちらが「悪い」と私が
言い切れることでもないし、そのつもりもBlog上では少なくともありません。
ということで、Ryoさんの言葉を借りて
>子供も大人も全部ひっくるめた大きな視点から見るのが素晴らしいかと思います。
で〆ておきますね。
〆ちゃったようだけどもう一回だけコメント書かせてもらうね。
因みに誤解は全くないと思うよ。
ただKojiちゃんの書いたこと見てると「子供は被害者大人は加害者」という意識がすごく強いのが分るので。それで「子供も大人も全部ひっくるめた大きな視点」という言葉を使ってみたの。
>あの「大人は信じない!」といわんばかりの怯えた目が忘れられない。
この文章がまさにKojiちゃんの視点なんだと私は見たんです。
子供を相手に仕事をする場合、「この子は可哀そうな被害者」という目では絶対に見てはいけない、とアドバイスしておきたいです。というのも現時点では被害者でも、将来長い目で見たらどこかの時点でいろいろな問題も清算されるものなので「今現在」だけでは何も決定できないし、否定的な気持ちを持ったまま子供と接するのはその子にとっても良くないので。その代わり、「心配ない、いつかきちんと幸せになれるよ。」、と気を楽にしてその幸せのお手伝いをするくらいの気持ちで付き合うといいですよ。
家庭問題について関わっていく上で一番重要なのはまず親も子供も平等に見てあげることです。子供の言い分はもう充分理解できているとおもうので、これからは親の気持ちに集中してみるのもいいと思いますよ。
Ryoさん>Ryoさんが私のブログを何度も
読み返して、解析しようとしている事が
よく伝わりました。サラリと1度読みの
方が多いと思うのですが、何度も何度も
つたない文章を読んでもらってありがとう
ございます。
実際、文才があるわけでもないので言葉
足らずの多い内容ですが、それがさらに
色々と「思わせる」部分が多いのでしょうね。
Ryoさんのおっしゃりたいこともよく
分かります。
私の表現に問題があったのかもしれませんが、
>「この子は可哀そうな被害者」という目では絶対に見てはいけない
というRyoさんのアドバイス、改めて
噛みしめておきたいと思います。
とりあえず、Ryoさんとのやりとりは
「〆」と前のコメントの方でも
返してあるので、もしさらに何かあるようでしたら、
直接メッセージを頂けると幸いです。
私自身、子どもがいるわけでもなく、
結婚もしたことな若輩者なので
そういった意味でも経験のあるRyoさん
からのメッセージはリアルで為になりますよ。
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